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IT業界で2回目の転職を節目に学生時代から振り返ってみました

 ·   ·  ☕ 10 min read  ·  ✍️ Inomaso

2020年12月31日をもちまして、現職である人材派遣会社を退職することとなりました。
IT業界での社会人歴も10年以上となり、年齢的にも30中盤となったので、これまでの振り返りと今後についてまとめようと思います。

高校時代


宮城県のとある普通科高校に在籍しており、特別やってみたいこともなかったので、とりあえず興味のあった情報工学部を目指しました。運動部を引退してから独学で勉強しましたが、センター試験の成績が散々だったこともあり浪人することになりました。その後、仙台の塾で1年間勉強して紆余曲折あり、公立の会津大学に入学することができました。

大学時代


会津大学では、C, C#, C++, Java, アセンブラと色々なプログラミング言語や、大学数学を学んでいました。
それまではプログラミング言語を触ってみたこともなかったし、授業で使用する端末はUNIXワークステーションだったりと、当時は単位を取得するだけでも相当苦労しました。未だに単位不足で留年する悪夢を見たりするくらいですw。
大学生活3年目の後半くらいで、就職活動することとなったのですが、正直なところ働いてみたい業界や会社は特になく、漠然と大手で勤務してみたいなーと思う程度でした。
そんな気持ちの中、職員やリクルータに脅されるようエントリーシートや履歴書を書いて応募しましたが、ほとんどが1次面接で不合格となりました。当時はサブプライム問題が直撃していたことも後押しして、初夏くらいまでは全く手応えが無かったです。
そんな中、運よくNTTグループ金融系の会社に拾って貰え、大学の方もカタコトの英語論文を発表して卒業することができました。

1社目:NTTグループ金融系


入社直後


入社してすぐに新入社員研修が始まり、コンピュータの基礎やビジネスマナーの研修を受けました。
私たちの代からメインフレームだけではなく、分散基盤ができる人材を増やしたいとのことで、途中からNTTグループ全体の研修に参加することになりました。そこではJavaの基礎研修をメインに受講しました。元々Javaをやったことはありましたが、単位のために勉強していただけだったので、遅くまで居残りして演習問題を解いていました。流石に見かねた講師が「これだけ勉強しても現場だとすぐに使わなくなるかもよ」と苦言を頂きましたが、これが後々のフラグとなります。

資産管理システムをスクラッチ


TERASOLUNAというフレームワークを使用して、社内の資産管理システムを構築することになりました。
上司から最初に言われたのは「構築に必要な研修を受講したんだから、自分たちで全て構築して」とのことでした。当然ですが、新人だけでスムーズにうまくいく訳もないのですが、上司は技術的な指導はできないので試行錯誤の毎日でした。設計書は先輩社員が作成していたのですが、後から聞いた話だと特にJavaを学習したこともなく見様見真似で作成し、レビューもしなかったそうです。
そういう状況なので、残業する日もありましたが、上司に「試用期間なので残業手当はつかない」と言われ基本的にサービス残業でした。
今にして思えばプロジェクト工数を誤魔化したいがために、残業してないということにしたかったのでしょう。

初の異動


Javaでのシステム構築に目処がついたので、プロジェクトのメンバーの大多数は他の部署へ異動することになりました。
当時の部長からは「分散基盤に関われる部署に異動してもらいことになったから」と言われたのですが、蓋を開けてみるとメインフレームでの店舗情報管理だったので、引き継ぎ先と一体何を話したのか疑問でしょうがありませんでした。

店舗情報管理


異動先はチームリーダとチーフが最高に仲が悪いチームでした。雰囲気がギスギスしておりチームリーダからは初日に「いつまで異動に時間がかかってるんだよ!!」と怒られたりして正直しんどかったです。結局、元々担当していた先輩社員が戻って来てくれたので、何とかチームは持ち直すことができました。当時は先輩からタバコを貰い公園で談笑するのが心の救いでした。ただ業務内容はベンダーの進捗管理や、他チームとの折衝がメインになってしまい、技術的なことはほとんど触ることが無かったので不満は蓄積していきました。上司に若いうちは手を動かしたいと訴えましたが暖簾に腕押しな状態でした。

システム監視


ある日、上司がニコニコで「異動先を見つけてきた!!」と自慢げに言ってきました。
この時点で嫌な予感がしていたのですが、会社全体のシステム監視する部署に異動できるので若干ワクワクもしていました。
しかし、蓋を開けると社員の関係が崩壊しかかっているチームで、休職者や退職者を出しており、社内でも評判の悪いチームでした。
既存のメンバーでどうにもならなくなり、新しい社員で補充しようということだったのでしょう。
業務を知っている社員から満足なスキルトランスファーも無かったので、見様見真似で何とかしようとしましたが、それが仇となり夜中にトラブルを起こすこともありました。

バックオフィス支援システム構築


上司に「まともな部署に異動できないのであれば退職を検討する」と訴えたら、バックオフィス支援システムを複数構築する部署に異動することになりました。ただ、この部署は社内でも満足度が一番低く、最初に部長と面談した際も「新しい風を取り入れたい」と部長自身で改善する気をあまり感じさせない部署でした。ただやっとメインフレームから離れて構築することができたのでシンプルに嬉しかったです。しかし、長い間メインフレームしか触っていなかったので知識不足な状態でした。上司にサーバ構築関連の研修を受講したいと申し出たのですが、「高いからダメだ」と一言断られて終わりました。この時に求められていたのは構築ベンダーの進捗管理や、全体工数の管理だったので、私自身が手を動かすこと自体は全く求められてなかったのです。

退職を決意した日


あるプロジェクトでPMOをしていたのですが、構築ベンダーの成果物で品質問題が次々に発生しました。例えばバックアップのために、業務LANと運用LANを分けていたのですがルーティング設定がわからないので設定せずにテストしたり、ユーザのファイル操作権限をAdministratorsで結合テストを全て完了させたりしていました。たちが悪い事にベンダーはこれらの課題に対して匙を投げたので、私の方で何とか帳尻を合わせる必要があり、毎日遅くまで残業して体調を壊しかけていました。
結果的には、プロジェクトのクローズができたのですが、部長からは「なんでお前が手を動かす必要があったんだ」と指摘されました。結局のところプロジェクトの工数をどれだけ安くし、ベンダーをうまく動かすことができたかが評価の大部分であり、火消しで身を削って自らの対応は評価対象外だったのです。今にして思えば大半のSierはそうだろうなと、ある程度冷静に受け止めることはできますが、当時は相当辟易しました。
目指すキャリア像は技術もわかるリーダーだったので、技術的な経験を積むことができる会社を探す事にしました。

2社目:人材派遣会社


転職で求めたこと


とにかく構築経験を積みたかったので、案件を選ぶことができ、雇用が保証されている会社を探す必要がありました。
当時は2016年9月くらいで売り手市場の真っ只中だったので、人材派遣会社で色んな現場で経験を積むのはアリだなと思い転職することにしました。

1案件目:Windows・Linuxサーバ等構築


1つ目の案件はWindowsやLinuxサーバ構築や端末キッティングがメイン業務でした。
VMWare vSphereでのサーバ構築や、イメージを使用した端末キッティングは、かなり新鮮で面白いと感じていました。
ActiveDirectoyのポリシー周りも触れることができたので勉強になりました。
オンプレでSquidを利用したフォワードプロキシ構築も任されたので、良い経験になったと思います。

2案件目:AWS上に金融システム構築


2018年くらいにAWSでの構築経験を積みたかったので、とある商社の案件に飛び込みました。
ただ、元々対応する予定だった案件は失注してしてしまい、しばらくは自主学習していました。

1か月くらいして大型の金融系システム構築案件が入ってきたのですが、1回目の打ち合わせで元請けのインフラリーダが失踪しました。
蓋を開けてみると、可用性やセキュリティが厳しい要件にも関わらず、よく検討せず受注したいがために対応可能と言いはってもぎ取ってきた案件でした。そんな状況なので案件開始直後から燃え盛っており、発注元も「スケジュール遅延は認めるが誠意を見せて欲しい」と遅くまで残業する毎日となりました。要件定義が全然進まず、AWS部分も初構築案件の自分には荷が重く、進捗は芳しくありません。スケジュール的に構築フェーズになったので、いくつかの申し送り事項はありましたが、要件定義と構築を同時に進める事になりました。当時は数日おきに要件定義の進捗資料を作成する必要があったため、徹夜も珍しくなく、肉体的にも精神的にもかなりきつかったです。人の出入りもかなり激しく、多くの人が体調を壊しました。

3案件目:AWS移行やSplunkダッシュボード作成


2019年に3つ目の案件に変更することができました。
昨年は過酷な案件での対応だったので、小規模でスケジュールに余裕がある案件にアサインして貰うことになりました。
Splunkでログデータを可視化するためのダッシュボードを作成したり、AWS移行を基本設計書から全て担当できたので良い経験ができました。
スケジュール的に余裕があったため、調査しながら満足する成果物を作成できたと思います。

2回目の転職


2020年にもなり、当初目標であった技術的な経験を積むことができたと実感できるようになりました。
また、キャリアの軸にしたい技術としてAWSの設計・構築経験を積めたことも大きかったと思います。

このまま現職に残るという選択肢も無かったわけではありませんが、今後も派遣業界で働くのは単純に不安でした。
また会社の評価軸がエンジニアの単価をあげて、1人でも多く同じ客先に入れるなのが、自分にとってはどうしても違和感がありました。
常駐先のリーダーとも話しましたが、御社の営業は技術を良くわかってないので、あまり印象が良くないと評価していたので、そろそろ潮時かなとも感じていました。

次のキャリアに求めたのはサービス開発か、AWSでのモダンな環境構築のどちらかでした。
まずはGreen転職ドラフトを利用して、自分の市場価値を確認する事にしました。
特に転職ドラフトでは他ユーザのスキルセット等を確認でき、現在のスキルセットではサービス開発は難しく感じました。
逆にAWSでの環境構築については、これまでの経験を活かせそうだなと感じたので、豊富な経験が積むことのできそうなAWSコンサルに強みのある会社へ応募し、選考に合格することができました。

今後について


2010年頃と比較すると現在は人海戦術で案件を回すというよりかは、クラウドやSaaSを利用し少数のエンジニアで複数を担当する時代になったと思います。
個人的には小規模な開発であれば1人で担当できるよう、コンテナやフロントエンド、IaC等を勉強してどんどんアウトプットするのが直近の目標です。

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